国中平野・加茂湖ジオサイトはくさんじんじゃみちぶしんかんべいもんがくじょうにんほこらたあそしんじよしゅくぎょうじ湧水の歴史 97 勘兵衛清水は、湧泉のあるところの屋号「勘兵衛」に由来し、そこから湧き出す清水ということで,そのように呼ばれています。 大久保集落では,各家庭で井戸を所有しているところが多かったのですが、渇水期になると集落の方々は勘兵衛清水を汲んで、飲用水や生活用水として利用してきました。以前は、簡易な掘り抜き井戸の形でしたが、昭和 17(1942)年に現在の井戸枠と長方形のコンクリート桝が整備されています。昭和 30(1955)年頃になり、順次、簡易水道の整備が行われたことから、次第に勘兵衛清水が利用される機会は少なくなったそうです。 昭和 39(1964)年に起こった新潟地震では、湧出量が大きく減少し二週間ほど白濁した状態が続き、その後、湧出量や濁りなどは徐々に回復しましたが、地震以前の湧出量と比べると2 ~ 3 割ほど減少したと聞きます。現在でも若干ですが、日によって濁りが見られることもあるそうです。 勘兵衛清水から少し離れたところには、文覚上人の憩いの場と言われる祠があり、その真下から出ている水は、地元では「命の水」と呼ばれています。 大久保集落内にある白山神社では、毎年 1月3日に「田遊び神事」が行われます。この神事は農作業の様子を模擬的に演じて、その年の豊作を祈願する予祝行事で、新潟県の無形民俗文化財に指定されています。 集落で行っている道普請の際に、周辺の草刈りや井戸枠内の砂利の清掃を行っています。 真禅寺ホームページ (http://sadotemple.jp/shinzenji)図 18-7 田遊び神事(白山神社)⑱ 勘兵衛清水 周辺情報保全活動文 献
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