国中平野・加茂湖ジオサイト そそみずこういっとだるちゅう湧水の歴史101 チュウシグチの名称について、はっきりとした由来は不明ですが、一説によると、湧出地点を「(湧水が)注ぐ口」と表現したことによって、「注ぐ口」の読み方が「注」に変化し、現在のチュウシグチと呼ばれるようになったのではないかといわれています。また、「チョウシグチ」とも呼ばれるようです。 湧水は、100 ~ 200 年前頃からあったとも言われています。農業用水として重宝されており、昭和初期の国分寺集落においては「香の水」と呼ばれるやり方により利用されてきました。「香の水」とは、水を分配するための時計代わりとして「香」と呼ばれる線香を燃やし、水田の面積に応じて「香」の燃える長さを決め、水を供給するものです。 また、チュウシグチは、かつては洗濯場等として地域住民の社交の場となっており、家庭用の井戸水が少なくなると、一斗樽を担いで湧水を汲んでいたそうです。現在は水深10 ~ 15cm 程度ですが、以前は 30cm 以上あり、子どもたちの格好の遊び場となっていたといいます。 チュウシグチの周辺には由緒ある寺や史跡などが多数あります。「世尊寺」は文永 10(1273)年に法華経の道場として開かれました。本堂、書院、表門、赤門などが、国の有形文化財に登録されています。「妙宣寺」は日光東照宮の塔を模した県内唯一の五重塔(国指定重要文化財)で知られる寺です。 また、佐渡国分寺跡は国の史跡名勝天然記念物に指定されています。国分寺は、奈良時代の天平 13(741)年に聖武天皇の命で、国ごとに建てられました。佐渡国分寺は天平 15(743)年~宝亀 6(775)年までの間に建てられたと考えられます。 現在は、農業用水として利用する機会が少なくなったため、手入れは行われていません。 なし 図 19-7 世尊寺(赤門)図 19-8 妙宣寺(五重塔)⑲ チュウシグチ周辺情報 保全活動文 献
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