佐渡の湧き水 貴重な自然をたずねる
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西三川・砂金山ジオサイトにちろうしょうにんへいゆ湧水の歴史 107 梨の木清水のもとは一杯清水と伝えられていますが、梨の木地蔵が近くにあることから梨の木清水と名付けられたとされます。 一杯清水は、直径約 50cm、深さ30cm 位の井戸だったそうですが、新潟地震以後ばったり絶えてしまったと伝えられています。しかし、主要地方道両津真野赤泊線(県道 65 号)新道を整備した際に湧き出ていることがわかり、梨の木清水として甦ったとされています。 日蓮聖人の弟子の日朗上人が赦免状を携えて梨の木山道(旧道)に来たところ、喉が渇き杖で地面を突くと水が湧き出し、それで喉を潤したのが一杯清水であると言われており、国中平野を一望できる位置であったため、その場所から日蓮聖人を「おーい」と呼んだとの言い伝えがあります。 また、梨の木山道の馬頭観音様で旅人が水さかづきを受け見送られた後に、長坂が続いたので、一杯清水で喉の乾きを潤し、休憩所として利用していたとも伝えられています。 湧水の近くにある梨の木地蔵は「佐渡百選」に認定され、次のように紹介されています。 「本尊の石地蔵は、漁師が海中より拾いあげて現在の場所に移されたもので、子供の病気平癒をかならず叶えてくれるという。大願成就するとかならず一体の石地蔵を『身がわり地蔵』として持参することになっており、堂に入れない石地蔵は境内せましと並べられている。」 石地蔵があふれるように並んでいる風景は、地蔵信仰の他に類を見ない風景です。 一杯清水の頃は誰も管理していなかったようですが、梨の木清水として甦ってからは市が管理しています。 佐渡百選実行委員会 佐渡百選-島民が選んだ、島の宝- 65 梨の木地蔵 新潟日報(2010) 新潟文化 第 19 号 風景への旅 峠と人と 雪割草と地蔵群が誘う殿様道 〔早春の梨ノ木峠と赤泊街道〕 豊田誌編纂委員会(2005) 豊田誌今むかし 佐藤利夫(1995) にいがた歴史紀行 ; 17 両津市・佐渡郡図 20-8 梨の木地蔵⑳ 梨の木清水周辺情報保全活動文 献

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