西三川・砂金山ジオサイトろくじぞういわもとさんにしみかわさきんざん湧水の歴史 111 椿尾集落内には多くのヤブツバキが自生し、昔は各家で椿油を絞っており、田の収入よりも多かったと伝わっています。地名は、この自生する椿との関わりからではないかとされており、椿尾清水も同じように、自然とそう呼ばれるようになったとされています。 現在の椿尾清水は、道路脇に位置していますが、以前は遍路道の側にあったと聞きます。遍路道は高崎の海岸沿いから六地蔵岩本山まで駆け上がる急峻な道であったため、現在はほとんど使用されていません。昭和 60(1985)年頃になると、国道 350 号から椿尾集落へ向かう道路拡幅工事が行われ、拡幅道と遍路道が交差する場所にあった椿尾清水は、現在の位置に移されました。当時は今の 10 倍程の湧出量があり、お遍路さんや海で遊んだ子供達などが、椿尾清水に寄って喉を潤していたといいます。 椿尾集落は、かつて石工の里として栄えており、集落内には椿尾石を加工して造られたお地蔵様や石仏などが多く見られます。全盛期(明治後期~大正時代)には島内をはじめ北陸近県、山形、秋田、北海道まで出荷されていました。 椿尾清水周辺には、佐渡で一番古い西三川砂金山の跡地にできた体験型の施設、「佐渡西三川ゴールドパーク」があります。佐渡の金銀の歴史は平安時代に西三川砂金山の発見で始まったと言われています。館内には、砂金採り体験施設、展示室、映像室等が設置されています。 椿尾能楽石工の里の会によって適時清掃が行われています。 山本仁(2004.11) おしかけ講座~椿尾の歴史~ 資料 椿尾能楽石工の里の会 ホームページ (http://tubakio.web.fc2.com/index.html) 図 21-7 佐渡西三川ゴールドパーク㉑ 椿尾清水 周辺情報保全活動文 献
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