小木半島ジオサイトつるがみねはまいど湧水の歴史 121 小木大浦集落は、小木半島において比較的地下水が豊富な地域で、鎌倉時代にはその豊富な水を利用して、軍馬の生産が行われていた記録が残されています。中世の頃は村は台地上にあったのが、水を求めて海岸に集落が形成されたと伝えられています。各戸には深度 2 ~ 3m 程の井戸があり、また、集落内には深度 25m 程の共同の浜井戸もあり、洗濯や洗い水などに用いられてきました。じょうがしま 浜井戸には伝承があり、「大浦の浜井戸 城ヶ島に水鏡 夏は冷たく冬は湯気が立つ」、「大浦の良いところ洗濯場 喜ぶ者は嫁のおしめ洗い」といい、浜井戸は温かく(水温約 14℃)、大浦に嫁いだ嫁は苦労しなかったとされ、集落の宝物となっていました。 昭和 50(1975)年頃には、浜井戸を利用したテラピア(鯛の代替魚)の養殖が検討されましたが、もう少し高い水温が求められたため、新たに深度 125m のボーリングが行われ、湧出したのが隆起岩水です。この湧水は、小木半島の鶴ヶ峰が隆起し、それに伴って深層地下水が形成され、ボーリング工により湧出したのではないかといわれることから、この隆起という言葉と、岩盤の中を通る水という意味から名付けられました。 この湧水で昭和 55(1980)年から平成 5(1993)年頃まではテラピアの養殖が行われ、平成 18(2006)年からは、朱鷺の餌となるドジョウの養殖が行われています。 湧出地点付近に位置する城ケ島と呼ばれる岩山には、戦国時代加州の殿様の刀が埋められたと伝わっています。 小木大浦集落内で、月替わりで湧出地点の清掃を行っています。 なし図 23-7 城ヶ島(図左)㉓ 隆起岩水周辺情報保全活動文 献
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