小木半島ジオサイト えっさきせんほうじょうば湧水の歴史129 小木集落は、水が豊富な地域であったとされ、各戸には井戸があり、飲用水として利用され、また、集落内には幾つかの横井戸が掘られており、農業用水として用いられていました。 弘法水は、昭和 20(1945)年頃に湧泉の背後に弘法大師の石像が祀られたことからそのように呼ばれており、主に洗濯や洗い水などとして利用され、集落の社交の場となっていたといいます。以前は、8月になると各戸で井戸替えをし、弘法水のところにのぼりをたてて集落の祭りが催されたそうです。また、地元では湧出地点の大きさから方丈場(方丈とは一辺が一丈(約 3m)の正方形)とも呼ばれています。 昭和 25(1950)年頃まで小木~新潟間において米や炭、竹細工品などの物資の運搬をする機帆船(内航船、越佐汽船会社)が運行されており、その給水用水に弘法水が利用されていました。当時は、海岸沿いまで船を乗りつけて、そこから天秤棒を担ぎ、弘法水を汲んでは船に運んでいたと伝わっています。 昭和 39(1964)年頃になると、湧出地点に浄水施設が設けられ、集落の飲用水として利用され始め、この頃になると祭りも行われなくなっていました。また、コンクリート桝に溜まった余水などは、ポンプで汲み上げて水田の用水としても用いられています。 たらい舟を使った漁は小木海岸で見られる独特の風景で、まさに小木地区のシンボルといえます。湧水周辺の小木港や矢島・経島では、たらい舟の乗船体験ができます。 また、矢島・経島は互いを印象的な赤い橋でつながれており、美しい風景で箱庭を浮かべたような景勝地です。 小木集落の方により、年一回湧出地点の清掃が行われています。 なし 図 25-7 たらい舟図 25-8 矢島・経島㉕ 弘法水周辺情報 保全活動文 献
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