小佐渡北部ジオサイト なましめなわいわしみずはちまんぐうすぎいけまつ 湧水の歴史157 東強清水集落の「強清水」とは、「強く冷たく湧き出る水」という意味であり、また、冠せられた「東」は、小木強清水と混同を避けるため付けられています。集落では小さな流れのことを「川」といっており、地元では三郎右衛門の川、太郎右衛門の川は、少し訛ってサブレム川、タロエム川とも呼ばれています。 二つの川は、集落の成り立ちと密接に関係しており、川を中心として人々が住み始め、次第に集落が形成され、簡易水道が通る以前は、集落の飲用水、生活用水として各家々に提供されていたそうです。昭和 30(1955)年頃まで「川ふた(さ)ぎ餅」といって、12月1日になると、川を利用する家々に餅を届け、一日、川を使用することを禁じ感謝する日が設けられていました。また「川掃除」といって、8月1日の早朝に「今日、川掃除に寄って下さい」と触れ回り、集まった人達によって川の垢や苔の清掃が行われていました。昭和 39(1964)年に簡易水道の利用が開始されると、自然と「川ふた(さ)ぎ餅」「川掃除」は行われなくなりました。 なお、現在でも正月には若水汲みが行われ、水の神様に感謝の意味を込め、鏡餅の小さいものに穴をあけ注連縄を通し、松の小枝をさした「水のもち」といわれるものが玄関に飾られます。 東強清水の水には、久知八幡宮にある榧の木清水と同様の水に纏わる言い伝えが残っています。京都男山の石清水八幡宮から御神体を分霊する際、船が東強清水に着き、御分霊を安置するところがなく石上に置いたところ石の下から八幡清水が湧き出たとされます。その後、御分霊は久知八幡宮に安置され、そこに湧き出ている清水が榧の木清水であり、久知八幡宮から分霊されたものが東強清水の八幡神社とされます。このため、東強清水と榧の木清水は水脈が繋がっているとされ、どちらかの水が濁ると、もう一方の水も濁ると伝わっています。 この集落一帯には、豊かな地下水があるといわれ、集落内で出る水は同じものといわれています。 佐渡山地の久知から赤玉へ抜ける山道四十八箇所越えの峠近くにある「杉池」は、小佐渡山中唯一の湧水池で涸れることのない池として、昔から信仰の地とされています。この池のある山は水の神・竜神を祀る山であり、かつては村人でも簡単に入山することができませんでした。その信仰を背景に、この池には竜神伝説が残されています。 所有者により、適時水場の清掃が行われているほか、年 2 回草刈りが行われています。 両津市誌編さん委員会(1982) 両津市誌 町村編 上 pp.187-206図 31-7 杉池㉛ 三郎右衛門の川水のもち周辺情報保全活動文 献
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