佐渡の湧き水 貴重な自然をたずねる
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ト キサギ177 佐渡の温泉 * *)佐藤壽則.株式会社 日さく    伊藤俊方.株式会社 新研基礎コンサルタント  佐渡の湧水に関連して、ここでは佐渡の温泉について紹介します。温泉も地下水の形態の一つです。温泉が一般的な地下水と異なっているのは、地下深くから湧出してくるために温度が高いこと、あるいは様々な成分が溶け込んでいることなどが挙げられます。1 温泉の歴史① 明治以前② 大正から昭和初期③ 戦後の温泉旅行ブーム 温泉のなかには、古くから知られているものがあります。古くからの温泉は、湧水と同じように、地下から自然に湧出するものがほとんどでした。近代になり文明の利器が発達すると、ボーリング機械によって地下を掘削し、人工的な温泉が得られるようになりました。温泉の利用も、中世から近代においては湯治が目的でしたが、戦後は名所旧跡を訪ねる温泉旅行へ、そして現代では日帰り入浴、さらには福祉利用へとスタイルを変えています。 古くからの温泉は、伝承などによるもののほか、古文書に書かれているものもあります。佐渡でみれば、新穂地区の潟上温泉は 13 世紀に鷺が飛び立つのを見て発見され、17 世紀には「鷺の湯」と呼ばれ湯治場としてにぎわったようです。また、両津地区の住吉温泉は、「朱鷺の傷湯」と呼ばれ湯治場として親しまれていました。その他、畑野町史などによれば、両津地区上横山、畑野地区栗野江、相川地区鹿伏、真野地区中沢田、畑野地区三宮など、周辺の町村地区にもお湯が湧いていたことが書かれています。 大正時代になると石油掘削ブームが佐渡にも訪れ、島内各地で掘削が試みられましたが、いずれも成功しませんでした。瀬波温泉や月岡温泉のように、石油の代わりに温泉が出るということもありませんでした。この頃から鉱泉を使って旅館を始める人が現れました。ちょうど、鉄道の発達に伴って旅行案内書に各地の温泉が掲載されるようになった頃です。昭和 8(1933)年発行の「新潟県温泉誌」などには、潟上鉱泉のほかに吉井鉱泉(金井地区)や湯之沢鉱泉(同)が書かれています。この頃は浴用に加温を必要とするものを鉱泉と呼んでいたようです。 戦後になると新潟県も観光に力を入れるようになり、昭和 25(1950)年発行の「新佐渡の温泉

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