相川・金銀山ジオサイト さあんじゅさんしょうむみょういやきずしおうおりどうゆうわれとそうだゆうこう湧水の歴史 61 達者集落の達者とは、「安寿と厨子王伝説」に由来しているとされ、看板に次のとおり記されています。 『今から千三十年前、山椒大夫は、領主岩城判官政氏の妻 [ 安寿、厨子王の母 ] を佐渡の国に売り飛ばした。姉の安寿の姫は、弟の厨子王丸とともに母を訪ねてはるばる佐渡に渡った。母 [ 近くの川の水を使ううちに目が見えなくなっていた。] にめぐり逢い、夜道をかけてのがれ、この地に至り延命地蔵尊に参詣し、お祈りしながら湧き出る清水で喉をうるほし目を洗ったところ我が子の姿が目に写り、親子だき合いお互い達者でいたから逢えたんだなあと云うて喜びあったと、ここで着ている物を着替えて先を急いだ。その後親子は小川の極楽寺へ寄って泊めてもらったらしく…以後この部落を達者と云う。この坂を着替坂を「キヤ坂」と云い、この地蔵尊を「目洗い地蔵尊」とも安寿地蔵尊とも呼ぶようになったと云う。』(看板一部抜粋、[ ]:編者注) 目洗い地蔵尊は祠内に安置されており、この地蔵尊の右手前から湧出している湧水も、達者の目洗い地蔵と呼ばれています。また、地蔵さんの清水と呼ばれることもあります。 佐渡金銀山の繁栄により栄えた相川の街には、数多くの史跡や産業遺産等が残っています。達者の目洗い地蔵から市街地へ足をのばすと、道遊の割戸、宗太夫坑、佐渡奉行所跡、旧相川鉱山 北沢浮選鉱場跡などがあるほか、相川技能伝承展示館では、相川地区の伝統工芸である無名異焼と裂き織の制作体験ができます。 毎年 8月に、地蔵さん祭りが行われており、読経後に、目洗い地蔵を掃除し、団子や花をお供えしています。 目洗い地蔵尊の由来(看板) 安寿と厨子王伝説(看板)図 10-7 道遊の割戸図 10-8 宗太夫坑⑩ 達者の目洗い地蔵周辺情報保全活動文 献
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