佐渡の湧き水 貴重な自然をたずねる
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沢根中山峠ジオサイトじゅんとくじょうこうだいがはなはしょくおうけつぐん こんどうしょうかんのんりつぞうふたまたいわ湧水の歴史67 この湧水は、地元では、「清水権現」、「権現清水」、「権現さんの水」といくつかの名前で呼ばれています。 また、稲鯨集落の清水権現と同様に、隣の橘集落にも清水権現と呼ばれる場所がありますが、この二つの清水権現について、次のような話が伝わっています。 『稲鯨と橘の段丘上に、「権現清水」あるいは「権現さんの水」という湧水がある。いずれも、能登の石動山の天平寺の修験者とのかかわりがある。橘の岩崎才次郎家の話では「二つの清水は地下でつながっており、能登の石動山の水が流れてくる」と伝えられてきたという。稲鯨の権現清水は高野四郎左衛門家の先祖が、ある日石動山の修験者に宿をして、その礼に授けてもらった清水だと伝え、高野家の田地三反四畝にかけられている。かつてこの水は、眼病にきくといって目薬を製造したこともある。二見半島から外海府にかけては、段丘崖下に清水が多い。寺・堂宇あるいは旧家の清水として、信仰と生活用水として利用してきた。』(「佐渡相川郷土史事典」相川町史編纂委員会,2002) 清水権現は、眼病に効くと伝わっており、清水権現の御堂の周りに平仮名で「め」と記載された旗(治療に訪れた人達が感謝を示すために書いた)が立てられていました。多いときには 10 本余りの旗が立てられたと聞きますが、現在では、その様子は見られません。 清水権現の近くには「台ヶ鼻」と呼ばれる小さな岬があります。この岬には、台ヶ鼻古墳や波蝕甌穴群があり、学術的にも景観的にも優れた名勝として貴重です。また、台ヶ鼻の近くにある龍吟寺の「金銅聖観音立像」は、台ヶ鼻沖の双股岩に漂着したとされ、順徳上皇の持仏であったと伝えられています。国の重要文化財に指定されており、平安時代初期(9 世紀初め)に唐の影響を受けて、日本で製作されたものと推定されています。 清水権現御堂の関係者によって、年 3 ~ 4 回定期的に清掃が行われています。 毎年 10月22日に権現さんの祭りがありましたが、5 ~ 6 年前から行われなくなりました。 相川町史編纂委員会(2002) 佐渡相川郷土史事典 p.293図 11-7 台ヶ鼻図 11-8 金銅聖観音立像⑪ 清水権現周辺情報保全活動文 献

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